「素人だけどみんなで一生懸命考えたから私達にとっては正解です」が気持ちわるい
今市事件の裁判員裁判で、被告人が自白したとされる取り調べの録画映像が決め手となり有罪判決が下された。正直、「検察もうまくやったな」という感想を持たざるを得ない。
取り調べの可視化に一貫して反対の立場をとり続ける警察・検察。しぶしぶ録画及びその公開には応じるようにはなったが、それで捜査の正当性・公平性が担保されたわけでは決してない。そんなもん、どんな馬鹿が考えても恣意的な公開に終始すると思うだろう。今回も、何百時間にも及ぶ長い取り調べの、ほんの7時間が公開されたに過ぎない。しかも検察の編集によるものだ。どれだけ検察がこの7時間を選ぶのに慎重を期したか、想像に難くない。本当に透明性を謳うなら、“全取り調べの録画と公開あるいは閲覧箇所の自由指定”を可能にするしかないが、それが実現する気配は全くない。
正直本件は本当に真実は何なのかわからない。この被告人がやったのか、それとも冤罪なのか。ただ、物証がなにもない事件を、自白だけで有罪確定まで持って行き解決したとするのは日本の司法の最大の欠点ではなかったか。今回の裁判で、裁判員たちは口を揃えて「映像を見て有罪だと思った」「映像がなかったら有罪判決までは導けなかった」と語っている。つまり、全員が、“印象で決めました”と言っているのだ。物的証拠がとぼしく、取り調べでの自白の信用性が最大の争点となった裁判で、素人である裁判員の印象で有罪無罪が決まる。殺人事件であり、極刑が予想されるのにである。
検察は被告人が殺したと言い、被告人はやってないと言う。双方が正しいことは絶対にあり得ず、必ず、どちらかが、間違っている。でも決定的な証拠はない。それを素人による印象で決めさせる乱暴さ。こういうときのために“疑わしきは罰せず”の精神があるのだが、いまの司直には理解できていないようだ。
今は、誰もが声を上げやすくなり、気に食わないことにみんなでNOを言うのが当たり前の時代だ。不倫しただけで1年半も謹慎したタレントを、そろそろいいだろうと起用したCMが、ボコボコに叩かれて速攻お蔵入りになる時代。ならお前らで決めりゃいいじゃんと国民に判断させるケースが本当に多くなった。五輪のエンブレムなんて、誰も選びたくない。というかどうでもいい。ただ不正が嫌だと言っただけなのに、じゃあ国民の意見も聞くという。裁判だって、難しい試験受けて偉そうに有資格者顔してる専門家がいるんじゃないのか。司直の日常感覚の欠如が問題だったとしても、その解決法は「素人裁判員を入れる」じゃなくて「専門家が日常感覚も身につける」じゃないのか。
衆愚政治という言葉があるが、大多数の国民なんて自分の事以外には責任は負っていないし、間違っていることも多い。それをわかっていながら、判断の是非は二の次に、批判を避けるためだけに大衆の声を採用する。そういえば、いつのまにかテレビの情報番組のコメンテーター席に有識者ではなくタレントが座るのが当たり前になってしまった。それも“おバカ”と呼ばれているタレントだったりお笑い芸人だったりする始末。専門家の見解を尊重するのではなく、等身大のありふれた意見、つまり自分が思ってることを代弁してくれる声に安心するだけの世の中が、成熟する方向に向かうとはとても思えない。“素人だけどみんなで考えたことだから正しい”というのは、民主主義なんかではなく単なる思考停止だということにいい加減気づいた方がいいのではないか。
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