4257という数字自体に意味は無い

大木信景

HEW主筆。主筆って言いたいだけ。

 どんな現場でもそうだが、話題になってニワカが騒ぎ出したり、ひとこと言いたい人が出てくると、現場の温度感とはズレた論争が独り歩きしてしまう。連日、イチローの4257本を「記録として認めるべきか否か」みたいな論争があるように報じられているが、実際はちょっと違うんじゃないか。そこにフォーカスすることでイチローの実績、偉業にケチがつくことを、イチロー自身やバリー・ボンズだけでなく、アレックス・ロドリゲスやピート・ローズでさえ危惧しているように思う。


 まず勘違いしてはいけないのは、みんなイチローの偉大さを精一杯表現するために「メジャーで一番ヒットを打ったピート・ローズよりもヒットを打った」って言ってるだけで、4257本がメジャー記録だなんて一言も言ってないということ。誰に聞いたってメジャー記録は4256本に決まってる。日米通算とメジャー記録の比較ができないこともみんなわかってる。“日米通算”にみんな違和感持ってるし、意味があるのかないのか迷いながら言ってる。日米通算って言いたいんじゃなくて、日米通算としか言えないから言ってるだけだ。


 その上で、数字の価値は各々が決めればいいこと。打率よりも重要なのは出塁率だ、いやOPSだっていうのと基本的には変わらない。「2大リーグで打ったヒットの数」では、イチローがピート・ローズを上回りました。そこは動かしようがない。その上で、NPBでの数なんて入れるなという人がいてもいいし、同様に内野安打はセコいから数に入れるなって人がいてもいいし、逆に走力がある証左だという人がいてもいい。NPBのほうが試合数が全然少ないからより価値があるという意見だってある。これらはもう、アベレージヒッターよりホームランバッターのほうが好きとか、ホームラン王よりトリプル3のほうが好きとかと同様、趣味の問題だ。そんな好き嫌いと同列の話でしかない。


 ただ、日本とアメリカの選手の違いをことさら重視して、「日米を通算してヒット数を数える」こと自体ならんというなら、違う時代の選手を通算成績で比べること自体に意味がなくなる。だって対戦する選手だって環境だってなにもかもが違うんだから。だからピート・ローズの4256本をメジャーの歴史の中で見ることも意味がない。また、時代が同じでも、所属するチームが違えば対戦相手も変わってくる。好投手を擁するチームに所属することがどれだけバッターの成績に有利に働くことか。あ、それを言ったら年間成績からして比較できなくなるな。そもそも、球場の大きさもバラバラ、使用球も球場によってバラバラ、しかも年によって試合数もボールのレギュレーションもバットのレギュレーションも違うなかでの数字だ。所詮野球の記録なんてそんなふわっとした土台の上のものなんだから、ある1点にのみ厳密な話をされても、困ってしまう。結局は、そんなゆるさをどこまで容認するかというつまらない話にしかならない。だから「記録として認めるべきかどうか」という議論はちょっとズレていると思うのだ。


 メジャー記録ではない。でも世界一ヒットを打った。選手や関係者はそれを前提に話をしている。彼らには、イチローに対するリスペクトが根底にある。彼らが反発しているのは、イチローが世界最高の選手の一人と称されることではなく、4257が独り歩きすることだ。この議論に悪者を作る必要はまったくない。


 なんにせよ、ここ数年は寂しい成績に低迷していたイチローに、全盛期のようなスポットが当たるのは嬉しい限り。イチローが本当に50歳までプレーして、メジャーだけで4257本でも達成しようものなら、今度はまた「長くやってりゃそれだけ本数積み重ねられるんだから、大変なことだけどバッターとして凄いわけではない」とかいう意見も出るんだろうな…とは思うけど、それはもう危惧なんかではなく恐ろしく喜ばしい事態ですよね。 

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